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きゅうたの日記@忍者ブログ

世の中のさまざまな情報を色々載せていきます。面白くてためになるが目標です。

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「サプリメントは効果なし」記事の不勉強の記事とソースの大切さ

ちょっと前にサプリメントは効果なしと言う記事を見て、ここでもそれを記事にしましたが、その大もとの記事に対する反論記事を読みました。とりあえずこれがそちらです。

“「サプリメントは効果なし」記事の不勉強

これを見るとどうやら効果なしと言う記事のソースとなっている記事は三つの論文から成り立っていると言うことですが、要約すればいずれもはっきりとした答えは出ていない、つまり効果なしと言い切るのは早計ではないかと言う主張です。一応三つ目の論文に関しては効果が認められるという結論になっているので、感じとしては一勝二分けで効果があるという感じでしょうか。

正直記事を読んだ感想としてはあまりサプリの効果は期待できないような印象をかえって高めているように感じますが、特に第二の論文の論評ではきちんとした食生活をしている人だとサプリメントは必要ないという結論になってもおかしくないでしょう。ところで日本でサプリメントを飲むような人間はお金に余裕がある人が多いはずで、当然食事もごく普通に三食食べているのだから、サプリメントなど意味がない部類に入ると思われます。

そう考えるとサプリメントはやはり必要ないだろうということになるし、栄養不足で必要な人間もたまには存在すると言うことにしかならないような気がします。

それはともかく今回の一件で自分が思ったのは、自分のブログに記事を載せるときにどこまでソースを追いかけるべきかと言うことです。あまり厳密に追いかけると記事が書けなくなりますが、だったらいい加減な主張をそのままブログに載せていいのかということにもなるし、それならチラシの裏にでも書くべきだということになるわけです。

このあたりは自分的には多種な意見がありうるような主張、今回のサプリなどはまさにそうした例ですが、そういったものについて記事を書くならソースの提示は必須なうえ、ソースの内容を自分できちんと確認するくらいはやるべきだろうと思います。そうでないと自分の記事に対する反論があったときに自分の意見で何もいえなくなるし、それは実にみっともないことです。利害関係のない気楽な記事ならそこまでする必要もないでしょうが、たとえ個人ブログとはいえ公に文章を公開するなら、反論にどのように答えるのかまで考えなければ記事を書く資格がないという結論です。

これからブログで記事を書く際にはそのあたりのことを踏まえた上で書いていこうと思います
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違憲、しかし選挙は有効と言うわけの分からなさ

昨今の国政選挙は参議院も衆議院も一票の格差がひどい状態が続いています。もっとも考えると昨今に限らずそうした状態がずっと続いているのですが、それについての裁判所の判断がいつになっても選挙の無効に踏み込まないのはどういうわけなんでしょうか。

7月参院選「違憲、選挙は有効」…東京高裁

もちろん無効となれば世の中に対する影響が大きすぎると言うのは理解できますが、ことは民主主義の根幹にかかわることだし、政治家の正統性が疑われるような重大事案だということを裁判官は理解しているのでしょうか。少なくとも違憲だというのならば選挙無効は当然の判断だし、有効だと言うのならば違憲ではないという判断を下すのが当然と言うものでしょう。

違憲でありながら選挙を有効とする判断は司法がその責任を放棄した姿にしか見えませんが、こういった状況があまりに長く続いている上に選挙の投票率も低い状態が続いているせいで、最近では自分は政府の正統性にまで疑問を感じるようになってきています。政府が税金を集めて使えるのは、それが国民の代表だからであり、代表たる資格は公平な選挙によってのみ与えられるものだと思うのですが、司法はそうは考えないと言うことでしょうか。

この件に関して政治家を責めても埒が明かないでしょう。彼らが自ら選挙制度を改革する気など微塵もないのは今までの行動でよく分かっていることです。だからこそ司法は彼らに対して国の代表たる資格がないとはっきり突きつけるべきなのですが、それをしないことが国や法律に対しての信頼を限りなく低下させているのではないでしょうか。

もちろん世界情勢などをかんがみて緊急的に違憲だけど有効と言うことがありうるのは確かです。しかしそうした措置はあくまで一時的であるべきだし、ましてや数十年にわたって永続的にそうした状況が続くというのでは、一体憲法とはなんなのかと言う話にもなるし、政府が自ら憲法を踏みにじるなら、たとえば個人がそうした行動を取った時にそれを警察が取り締まる根拠がなくなるはずです。こういった状況は犯罪者の行動をやりやすくする側面を作るのではないでしょうか。

いかなる人間であっても法には従うべきだと言う強い意志を司法が示せないのならば、法律など歯牙にもかけない人間ばかりが社会の上に立ち、それがますます法律を無意味なものにしていくかもしれません。

アラン・チューリングに没後59年目の恩赦と言う記事

おそらく理系の大学生ならチューリングと言う言葉を聞いたことのある人が多いでしょう。いわゆるチューリングマシンという言葉は多くの場所で聞く言葉だし、自分も何度も耳にした記憶があります。そのチューリングと言う言葉ですが、当然人の名前だと言うことは知っていたし、コンピューターの理論的な側面を支えた人としておぼろげながら記憶している程度なのですが、このほどこちらの記事で初めてどんな人物なのか知った次第です。

英国政府、アラン・チューリングに没後59年目の恩赦。計算機科学の父

チューリングの計算機に対する功績はひとまず置いておくとして、と言うより自分にはそれを語ることはとても出来ないのですが、それよりはチューリングがホモセクシャルで、しかもそれを理由にイギリスの裁判でホルモン療法による化学的去勢措置を受けていたと言うのが驚きでした。もちろん驚いたのはそんな刑罰を執行した裁判システムについてですが、たかが一人くらいホモだからといってどうだと言うのでしょうか。ましてや世界的な天才をそのために失うことの愚かさを、当時の人で誰か憂う人はいなかったのでしょうか。

裁判システムと言うのは時代と共に変わるものだし、社会の常識も同様です。昨今ではホモセクシャル同士の結婚が法律で認められるような時代になっているのだから、もしチューリングが現代に生きていれば寿命をまっとうできたでしょうし、その間人類史に残るようなさまざまな発見をおこなっかたかも知れません。

そうした偉大な人間をくだらない裁判沙汰で事実上消してしまったと言うのは実に馬鹿げたことだし、怒りすらわいてきますね。当時の裁判長には、お前の価値はチューリングの爪の垢ほどもないと言ってやりたい気分です。

それはともかく世を先んじた天才のなかにはくだらない死に方をする人が少なくありません。たとえば古代ギリシャのアルキメデスなどもローマの名もない兵士によって殺されたと伝えられていますが、もしアルキメデスが寿命をまっとうできていたら人類の数学史はまったく違った道をたどったと言われています。もしかしたらアルキメデス自身が積分を考案した可能性まであるのだから、そうなっていたら人類の歴史は二千年は先に進んでいたでしょう。

もちろん当時の人間、それも一介の兵士にアルキメデスの真の偉大さが分かるはずもありませんが、それでもアルキメデスを殺した兵士にはこういってやりたいところです。お前が死ねばよかった、と。

管理人プロフィール

はじまして、管理人の Kyuta と申します。自分が興味のある情報をどんどん紹介、発信していきます。よろしかったらゆっくりしていってください。