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きゅうたの日記@忍者ブログ

世の中のさまざまな情報を色々載せていきます。面白くてためになるが目標です。

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英語学習ブログとしてやっていけるかもしれません

さてこのブログをどうするか色々悩んでいますが、現在三日ほど英語の勉強を続けていて、これなら挫折することなく続けられるのではないかと言う手ごたえを感じています。

まだしばらくこっそり勉強を続けるつもりですが、一週間ほど続けられれば何とかブログの記事にしていっても大丈夫でしょう。

現在はネットを少し調べると英語学習のブログがごろごろ出てくるしその多くはかなりレベルの高い人が学習方法を伝授すると言う形をとっています。

自分にはそういったことは出来ないのだから、だとしたら学習の途中経過を細かく書きとめて、どんな風に試行錯誤しているのかを公開することでしょう。というかそれしか出来ないわけですが。

いずれにしろもう少し様子を見ますが、続けられると思ったら当然記事を書き始めるし、それまでしばらくお待ちください。

ゆくゆくはTOEIC900点などと記事もアップしていけたらと思っています。ちなみに現在の自分の実力はセンター試験で6割くらいでしょうか。もう少し行くかとも思いますが、いずれにしろそんな程度なので、学習をしようという多くの人間にとっては良いサンプルになると思います。

そのうちこうした記事も英語で書けるようにしたいものです。まぁまだまだ先の話しだし、一生無理かもしれませんが、それはどれだけ勉強を継続できるかにかかっているでしょう。
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ミヤコタナゴの繁殖に成功した人の扱いについて

昨日だかおとといくらいに絶滅危惧種のミヤコタナゴを飼育していた人のニュースが流れました。それによると飼育していたら増えすぎたので引き取って欲しいと文化庁に連絡したと言うことですが、

希少淡水魚「増えすぎた」 ミヤコタナゴ譲り受け容疑で書類送検

これは果たして責められるべきなのか、疑問に感じた人も多いのではないでしょうか。確かに貴重な魚を最初に譲り受けたことは罰せられても仕方がありませんが、その後の功績を考えれば少なくとも罪と相殺という取引が妥当ではなかったかと言うことです。

そもそも絶滅危惧種を絶滅から救った功績の評価がまったくなされないのが気になるし、文化庁の意見でもどうやって飼育したのか知りたいなどと言う言葉があるのだから、飼育の知識と引き換えに罪を問わないと言う取引があったほうが、結局は絶滅危惧種の救済に役に立つとも考えられるわけです。

もっともこのあたりは意見が割れそうな気がするし、このようにきちんと育てられる人でなく、本当のど素人がいい加減な飼育目的で次々絶滅危惧種を手に入れだしたら収拾がつかなくなることは考えられるわけです。したがってそのあたりを考慮してやはり有罪にせざるを得ないと言う判断なのでしょうが、この場合は繁殖成功の功績も同時に評価しても良いのではないでしょうか。

文化庁の人間も分からないと言うなら、その知識はぜひとも国として手に入れるべきだし、それが将来にわたって絶滅危惧種の繁殖に役に立つことも考えられるのだから、国としてはぜんぜん損な取引ではないわけです。

またこの人が増えたミヤコタナゴをそこらに捨てずにきちんと文化庁に届け出たと言う事実も重く受け取るべきでしょう。罪に問われる可能性は当然考えたでしょうが、それよりは絶滅危惧種のミヤコタナゴの繁殖と言う事実の重大さを考えて届け出たとすれば、やはり罪は減じられてしかるべきだと思うわけです。むしろこの後でこの人を中心に絶滅危惧種の魚の復活プロジェクトでも立ち上げれば、さまざまな絶滅危惧種をすくうことにもなるでしょう。

今回の書類送検は一応逮捕までは至らなかったと考えてそれなりの対応をしたとも考えられますが、それでも技術を持った人の行動を萎縮させる可能性があるのではないかと思うわけです。

ところでさっそく虚構新聞ではこの件のパロディが載っていますね。こちらはトキに関してですが、正直民間と言うかそこらの人にでも任せたほうがこうした動物の繁殖はうまく行くのではないかとも思えるわけです。今回のミヤコタナゴの件でも文化庁の能力に疑問を感じた人は多かったのではないでしょうか。

すなわちそこらのおっさんでも出来ることがなぜ文化庁には出来ないのかと、つまりはそういうことです。

ネット新聞の現状の問題点について

既存の新聞が衰退していく一方で多くの人は情報を得るのにインターネットを活用しているものです。その中でも既存の新聞社が開いているウェブページは真っ先にチェックしたくなるものですが、少しそうした状況に慣れてくると新聞系のサイトが使いづらいことにすぐに気づくものです。

たとえば何らかの見出しを見てこの記事を読みたいと思ってみても、記事のすぐ下にこれ以上は購読してくれと言う文章があってそれ以上は見れないようになっているところがほとんどです。こうした状況が果たして放置されて良いのか、大いに疑問を感じるわけです。

もちろんただで他人の文章を見ようとはずうずうしいと言う意見があることは承知ですが、そもそも日常のニュースにお金を払ってまで見たいと思うようなものがどれほどあるでしょうか。大抵はちょっと興味を引かれたから覗いてみようと言うだけの話であって、お金を要求するなら別に調べるから結構だと断る人間のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。

こうした実情を考えれば、ウェブ上の新聞も基本的にはすべての記事を公開してより多くの人の読んでもらうことを第一に考えるべきです。そうでなければいずれ新聞のサイトに誰も人が来なくなるし、実際にそうなっているのが既存の新聞の本当の姿だと思われるわけです。

さらにきちんとした論評の無い情報ばかりに接していることが国民世論の形成に与える悪影響ははかりしれません。特に昨今では選挙のたびに国会内での勢力が激変することが当たり前になっていますが、これもネットで質のよくない情報ばかりに多くの国民が接していることの現れとはいえないでしょうか。

民主主義の基本は選挙民すべてがさまざまな社会問題に対してきちんとした主張を持つことですが、そのための基礎となる情報が不足しているのでは、個人の主張も偏ったものになりがちだし、ちょっとセンセーショナルな主張をするだけで多くの人がそれを支持するような状況が生まれるわけです。

それが国会運営に悪影響を与えるのは確実だし、安定した政権作りがいつになっても出来ないことの原因にもなっているのではないでしょうか。したがって新聞各社がきちんとした論評(もちろん各社で見解の相違はあるにしても)を無料で配布することが新聞の使命だと思えるわけです。


ところで記者だって霞を食べては生きていけないのだから記事にお金を要求するのは当然だと言うのも確かでしょう。しかしこれについてもあまり賛同できないのが現在の状況です。実際サイトに多くの読者が現れればサイトからの広告やアフィリエイト収入はかなりの額になるのではないでしょうか。それが国内でも有名な新聞のサイトともなればとんでもない金額になってもおかしく無いし、それで記者を養っていくことは十分に可能なはずです。

そもそもネットの新聞なら記者のほかにはサイトを管理する人間が一人居れば十分に運営が可能なはずで、それを既存の新聞社よろしく余計なことにお金をかけるから成り立たないのではないでしょうか。せっかく作った記事を公開しないというのは、そもそもネットでの収益の上げ方を根本から勘違いしているとしか思えないわけです。

ネットを良く使う人がどこから情報を得ているのか、はっきりした数字は分かりませんが、たとえば2chあたりは相当大きな影響力を持っているし、実際新聞サイトよりはるかに上なのは間違いないでしょう。ただ2chは娯楽と言う側面が強いし、実際自分が利用するときも楽しみで使うことがほとんどです。

しかしあそこに書かれている主張を頭から鵜呑みにするような人が増えることには危惧を感じざるを得ません。自分の望んだ情報しか仕入れないならその主張は当然偏ったものになるからです。そういった流れに対抗するためにもきちんとした論評を乗せた新聞サイトがフリーで出回ることが望まれるし、それが出来ないと言うならもはやネット上の新聞には何の力もないとさえ言えるのではないでしょうか。

管理人プロフィール

はじまして、管理人の Kyuta と申します。自分が興味のある情報をどんどん紹介、発信していきます。よろしかったらゆっくりしていってください。